幕末に28代島津斉彬の命により、鹿児島で生み出された「薩摩切子」は、すばらしい芸術性と卓越した技術力で工芸史上高く評価されている美術工芸品です。無色のガラスにさまざまな色のガラスを被せ、精緻なカットをほどこしたガラス器は、集成館を訪れた英国公使パークスに、「西洋博覧会ニ出シテ恥シカラヌ程ノ手際ナリ」といわしめたほど、美しいものでした。しかし、斉彬の急逝や薩英戦争から明治維新を経て西南戦争へと進む歴史の中でその製造は途絶え、文字どおり幻のガラス工芸品となってしまいました。現存する薩摩切子は、全世界で百数十点といわれています。製造が途絶えてからおよそ百年後、鹿児島で薩摩切子をよみがえらせたいとの熱い思いを受け、鹿児島県の協力のもと、島津家が中心となって復元に取り組みました。1985年に薩摩ガラス工芸株式会社を設立、その後復元事業は急速に進み、ついに成功。「島津薩摩切子」の名称で多くの方々に愛されるようになりました。薩摩ガラス工芸で修業した人たちが独立して薩摩切子の工房を立ち上げるなど、裾野もひろがりました。この間、当社では復元のみならず、新しいタイプの薩摩切子にも取り組んで二色被せなどの新技法を開発、よみがえった薩摩切子はいまや鹿児島を代表する美術工芸品となっています。
日本の美が生み出した薩摩切子の新しい表現 「二色衣」
21世紀の始まりを記念して生み出された新しい薩摩切子、それが二色衣(にしきえ)です。透明のガラスに異なる2色のガラスを被せてカットすることにより、これまでにない複雑な色の変化による独特のグラデーションを表現しています。日本の四季のうつろいの美しさからヒントを得、職人の技術を結集することによって、他に類を見ないカットガラスを生み出しました。
一歩ずつ薩摩切子の未来を
ある時は感謝の想いをのせて、ある時は慶びの気持ちを込めて、島津薩摩切子は様々な晴れのシーンを彩る器として、多くの方々にご愛用いただいています。 そんなお客様の想いにこたえるために、職人たちは熱い情熱を胸に、薩摩切子の製作に取り組んでいます。その頂は遥か彼方で、途方もなく長い時間をかけて技術を磨きながら、一歩ずつ薩摩切子の未来を切り拓いています。